人は社会的動物です。 なので どうしても「親友が欲しい」・
「孤独になりたくない」・「周囲に合わせたい」というような感情を持ちがちです。
しかし、社会的動物としての欲求を満たすことと 個人の幸福度は必ずしもイコール
ではないのでしょうか?
なぜなら世界中には ほぼ完全孤立しているにもかかわらず 明らかに幸せそうに
暮らしている人達がいる一方、表面上 仲間や集団に属していても心にモヤモヤを抱え
生きづらさを感じている人も存在します。
(ちなみに自分は前者で 孤独を最大限に楽しんで生きるスタイルです(^^♪)
今回は コミュ障な人が仲間意識を満たしていくとほんとうに幸せになれるのか、
もしそうではないとしたら どうすれば幸福度は上昇するのか? を自分なりに
考察してみました!
親友を欲しがる心理
まずは 親友を欲しがるという心理について。
社会的動物である人間は本能的に群れたがる習性をもっています。
では 多人数で群れれば幸せになれるのか?
これは絶対にないでしょう。
そもそも人が苦手な人もいるわけですし グループの中で孤立というパターンも
あります。とても幸せな状況とは言いずらいのではないでしょうか?
では、気の合う仲間同士で集うというのはどうでしょう?
これなら多少はマシになりそうです。
しかし、コミュ障な人が 仲間という関係から友達関係に昇華してしまうと
結びつきが強力になる分 関係性が難しくなってきます。
一昔前までなら実際対面での結びつきがほとんどだったかもしれませんが、
最近ではSNSでの繋がりまであるのでさらに結びつきは強力なものになっています。
コミュニケーションが苦手な我々コミュ障にとっては適度な距離感が大切ですが、
ただの仲間関係よりもづっと距離感の近い友達関係、
さらにSNSで四六時中ガッチリコミットするのは
得策ではないように思います。(適正距離感を超えた密な関係に 自分でも気づかないうちに精神的に疲弊している人も多いのではないでしょうか?)
では われわれコミュ障が「親友を欲しがる心理」とうまく付き合っていくには
どうすればいいのでしょうか?
一つの考えかたとして 親友関係まで発展させずに仲間という
関係性にとどめてみるというのはいいかもしれません。
この2者が どう違うかといえば、親友関係というのが たわいもない話題や
特に用がなくても集ってみたりと比較的いつでもどこでもガッチリコミットしている
感じなのに対し、仲間というのは連絡を取るにしても 集うにしても必ず
お互いに共通の目的がある関係性です。
インターネット上で言えば「~~~仲間募集」みたいなやつです(怪しい類のものではなく健全なもので)
例に「自然散策仲間募集」の場合だと 集まった人間は皆 自然散策をしたい! という
共通の目的のもと集っているので 会話の内容も自然関係がメインと
初めから分かっています。
ですので 自分がコミットしやすい感じの「仲間募集」を選んで参加すれば
コミュニケーションが苦手でもある程度は楽しめることでしょう♪
友達関係だと 行動の進行はその時々の流れできまることがほとんどです。
リア充な人達は得意とする行動パターンですが、コミュ障な我々には苦手な
分野です。
雑多な意見が飛び交う中、自分が全くコミットできないような分野に話が
飛んでしまい 集団の中で孤立した経験がある人も多いのではないでしょうか?
仲間であれば この危険は限りなく少なくできます!
例えば 上で述べたように 「自然の中でストレスから解放されたい」と思った時に
気が向いたときだけ 「自然散策仲間募集」に参加するようにすれば 初めから
集団の目的意識を共有した仲間が集まるので おおよそ想定通りの集いになるでしょうし
間違っても 自然散策仲間募集に参加したのに「それでは アパレル関係の雑談会を
始めます」なんて 予期せぬ展開で話題から取り残されるなんてことはありません。
行動が流れで決まっていく友達関係の場合だと このパターンで孤立して
精神消耗することが頻繁に起こります。
親友ではなく仲間にする! これはコミュ障にとって鉄則だと思います。
あと、もしも 本当に人が苦手で・・・ という人は自分と同じように
シングルライフで最高に幸せな生き方を考えてみるのもいいかもしれません(^^♪
合う合わないは強烈に分かれますが、会う人にとっては理想的な生き方です♪
シングルライフについては 上部カテゴリーの
(豊かなシングルライフ > 考え方)にいくつか記事を載せてあります!
孤立を恐れる心理
社会的動物というのは本能的に孤立するのを恐れる生き物です。
しかしこの恐怖は心の中で作り出している部分も大きく しかも、
完全なる孤立というのは 自分のように好き好んで人を
遠ざけている人でない限りはなかなか想定しにくいです。
コミュニケーションで言えば 人生相談フリーダイヤルに電話1本いれれば会話することも
意見を聞いてもらうこともできますし、上の項で述べたように自分がコミットできそうな
「仲間募集」に参加すれば集うことだって可能です。
それにリア充な人達がやっているように 四六時中ガッチリSNSや
集会でつながっていることが幸福な状態とは言えないのではないでしょうか?
かと言って ちまたでよく言われているような「広く薄い繋がり」よりも
「狭く濃い繋がり」というのも何か違うように感じます。
自分が思うに コミュ障にとっての最適解は 「薄く・単発で・楽しい繋がり」。
気分に合わせていろいろな方面の「仲間募集」に参加してみることだと思います。
発達したネット環境を活用して自分が興味をもった様々な分野のコミュニティに単発的に
参加して 気が向いた時だけつながるというのが最高の選択肢のように思います。
気に入らなければそのサークルにはその日限りにすればいいだけなので気分も楽です。
友達関係のような物にとらわれてしまうと、そこに付け込まれて搾取の対象に
なったり、その集団に対し依存が生まれることで依存は深い執着につながってしまいます。
(仏教では執着は悩みや不安の根源としてとらえるそうです)
「なんだか分からないけど心がモヤモヤする」なんて時は
執着が生まれていることが大いに考えられます。
「薄っぺらい繋がりはちょっと・・・」と思う方もいるかもしれませんが、
リア充の集いのようななれ合いよりも 薄く広い繋がりこそが人生を
好転させる転機につながっていることは 米スタンフォード大学の
マーク・グラノヴェッター博士の「弱い紐帯の強み」という論文で
科学的にも証明されています!
あと他に「孤立することによる孤独感」に対する対処法としては
あなたの置かれている環境・経済力・ライフスタイルにもよりますが
犬などのペットを迎え入れると孤独感はすさまじく減少します。
ただし、これは長期的(20年ほど)に見てペットを迎え入れるすべての条件が満たされた
場合のみ考えてみることをおすすめします。
ペットについては カテゴリの「犬関連 > その他 犬」や
「日常・雑記 > その他 日常・雑記」にいくつか記事を投稿してあります♪
幸福度を測る実験を行った際、
「一人」・「一人と1匹」・「カップル」・「カップルと1匹」で比較すると
最も孤独感が低下し、かつ幸福度が上昇したのは「一人と1匹」だったそうです。
周囲に合わせたい心理
日本人は世界的にみても 周囲に合わせたいと感じる心理が強い国民性を
持っています。
各国の国民性を現した「沈没船ジョーク」と呼ばれるものがあります。
◎ 世界各国の国民が乗った船が沈没しそうになった際、迅速に乗員を
脱出させる為になんと声を掛けますか? といった時に ↓
- アメリカ人 → 今飛び込めばヒーローになれます!
- ドイツ人 → 規則です飛び込んでください!
- イタリア人 → 海で美女が泳いでいます!
- ロシア人 → 海にウォッカのビンが流れています!
- 北朝鮮人 → 今が亡命のチャンスです!
- イギリス人 → 紳士はこういう時、海に飛び込むものです!
- フランス人 → 決して海には飛び込まないで下さい
- 日本人 → みんな飛び込みましたよ!
だそうです(;^ω^)
こんなジョークがいろいろな国でささやかれるほど日本人は周囲に合わせたがる
国民性があります。
しかし、一人ひとり全く違った人間 他人にとってのベストが自分にとっても
良いなんてことはむしろ少ないのではないでしょうか?
「皆が集まっている時に自分だけ孤立しているのは疎外感を感じるという理由で
実際参入してみると ノリについていけず結局、隅の方で集団の中で孤立状態になる。」
「流行り物やアマゾンレビューの高いものを買ってはみたが思っていたほどの
物ではなかった」なんて経験はないでしょうか?
これらがまさにそうで、他人の価値観を気にするよりも物事に対する自分自身の
価値観をしっかり考えながら生きることによって周囲に流されることなく
自分自身に最適な判断ができるようになるのではないでしょうか。
「皆が集うから自分も」ではなく本当に必要なら参加すればいいだけです。
他人から高評価が付いているものでも 流されて飛びつくことなく、
「皆はそう思うのか、しかし 自分はこう思う」と冷静に自分なりの評価を
下せることが大切だと思います!
ある程度の協調性は必要な場面もあるかもしれませんが、すべてを周囲に合わせる
必要はありません。
他人の猿真似の人生ではなく 自分自身の人生を歩んでいく為にも自分だけの
価値判断基準を持つということは大切なことだと感じます。
まとめ
以上「コミュ障に最適な考え方」と題して 社会的動物としての人の欲求と
どう付き合っていけば コミュ障な人間でも幸せに生きていけるのかを
自分なりに考察してきました。
どうしても人間は原始時代に備わった習性として
- 群れようとしたり
- 孤立することに恐怖心を抱いたり
- 他人に合わせようとしたり
するものです。
しかし、原始時代とは状況が大きく変わった現代社会では原始時代とは
全く違った形で幸せな生き方を追求することは可能です。
無理にテンプレートに沿った生き方に矯正しようとするのではなく、それぞれに合った
形の生き方を模索する方が幸せな人生につながるのでは? と感じました。